東京に来た時に実は最も衝撃を受けたのがケチャップ入りの赤い天津飯!あまりにも衝撃だったので、その後も2,3件まわったがどれも赤く、最後に新宿の中国人がやっている店に行ってもやはり赤だった時の落胆ぶりは今もよく覚えている。
この事について関東の連中に話をしても、それが普通だと思っていたり、あまり天津飯自体を食べないので知らないというふさげた返事しか返ってこないものだから、当時巨人、もんじゃ、赤天津飯は自分の中で三悪に位置づけられていたくらいだ。
(余談だがその後は巨人の凋落、もんじゃとの和解もあり、最後は赤天津飯のみが残っている)
それがTV番組のケンミンショーを観ていて、これがどこから赤に変わったのかという内容を放送していたので、自分も犯人を追いつめるような気持ちで観ていたところ、なんと静岡の浜名湖をはさんで西は醤油入りの正統派天津飯、東はケチャップ入りの邪道派天津飯に見事に分かれていたではないか!!
「うなぎか〜〜天津飯をダメにしたのはぁぁぁ!!」
と勝手に絶叫していたのは自分だが、この場合特にうなぎは関係ない。まぁなぜこのあたりで赤天津飯に変わったのかを自分なりに調べてみた。最も頼りになるのはペディアさんだが、なぜ?については言及されていない。ただ天津飯は日本の食べ物で、どうも昭和に入って成立したものということはわかった。ただおそらく最も早く成立したのは中国料理界な気がしないでもなく、そうなると東は横浜、西は神戸ということになる。そこで用意ドンでお互いの勢力を拡大した結果、浜名湖あたりに落ち着いたと勝手に推測した。もちろん均等距離ならもう少し西よりに落ち着くはずであるが、浜名湖と言えばうなぎであり、うな丼だ。
先に東から攻めよせてきた赤天津飯帝国に対してうな丼軍を率いるうなぎ連合が頑強な抵抗をみせ、その間に正統天津飯同盟が浜名湖まで勢力を拡大し、その後すみ分けたという推理である!
ふむ・・まぁこんなもんでいいだろう。
とにかくそもそもの蟹玉が中国だとしたら、メリケンが持ち込んだケチャップよりも、同じ東アジアの仲間である日本が誇るソイソースの方が断然相性が良いに決まっているのである。
いい加減目を覚ませ!天津飯に赤はない!赤天津飯を認めるくらいなら、俺は東京ドームでジャビットと社交ダンスを踊ってやる!